ちょままちょままま

何でも書きます

素顔のピクセル個人的解釈メモ

リンクラ最新の活動記録およびFes×LIVEにて、

 

  1. 伝統曲には芸学部時代の楽曲も含まれる
  2. 伝統曲はその時代時代において曲名も歌詞も変化している

 

ということが判明しました。

これにより、蓮ノ空には100年以上の歴史がありつつもスクールアイドルクラブの楽曲は芸学部が発展的解消をして以降10年そこらの間に作られたものでは?という懸念が払拭されました。

 

途端、私(わたくし)の脳裏に浮かぶのは『Reflection in the mirror』以外に伝統曲であると明言されたもう一つのスリーズブーケ楽曲。

 

『素顔のピクセル

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これについての持論を展開しておいて、忘れた頃に大本営発表との答え合わせをしたいなぁと思いこれを書いています。

 

  1. 素顔のピクセル(原曲)の制作時期
  2. 1ピクセルの重要性
  3. ピースは🧩なのか✌️なのか

 

以上三項目でいきたいと思います。

 

素顔のピクセル(原曲)の制作時期

まず『素顔のピクセル』も『Reflection in the mirror』同様に制作当時は別の題名が付けられていたと考えます。

その理由は「ピクセル」という言葉が当時存在していない、していたとしても女子高生にとって馴染み深いものではなかったはずだからです。

 

当代『素顔のピクセル』の歌詞を見てみると、どうにも冒頭部分が原文に近いように思えてなりません。

具体的には「ジグソーパズル〜あした天気になれ」の箇所です。

ジグソーパズルが日本で普及したのが1974年らしいこと、そして1977年に百恵ちゃんが発表し、中森明菜もカバーした『夢先案内人』という曲の歌詞には「三日月模様」という言葉が使われています。

この2点から自分は『素顔のピクセル』の原典は70年代後半から80年代に作られたものと推測します。

吟子ちゃんのおばあちゃんが芸学部にいたのが50年ほど前なのでそれよりは少しあとの世代になります。(1970年が50年前なの恐ろしい)

 

解釈に悩んだところとしては「夕焼け小焼け」だったり「帰ろうかカラスも鳴いた」「あした天気になあれ」といったフレーズはもっと前の世代を感じさせる言葉だということです。

 

ただこの辺りは童謡としても馴染みのあるものですし、もう少し後に生まれた我々世代でも聞き覚えのあるもので、考慮しなくとも問題ないと判断しました。

 

というわけで、70-80年代に『素顔のピクセル』は作られ、またその当時「ピクセル」という言葉は市民権を得ていないはずと考えタイトルも別のものだったと予想します。

 

1ピクセルの重要性

続いては『素顔のピクセル』が『素顔のピクセル』へと成った時期について考えていきます。

 

カメラとかはそんなに詳しくない私ですが、現代においては1ピクセルの違いなどは大した差ではないことくらいは分かります。

そうであるならば、そこに青春時代のあれやこれを重ねて歌詞にしようという発想も生まれにくいはずです。

ですので、デジタルに瞬間を切り取れるようにはなったがまだまだ粗く、かつ女子高生にも手が届く技術になった頃の創作ではないかと考えます。

となると、デジカメが割と手軽になったあたりか、ガラケー隆盛の時代が該当するのかなぁと。

『素顔のピクセル』については、花帆のカードボイスで「"スリーズブーケ"の伝統曲」と明言されています。

あくまでも『素顔のピクセル』として受け継がれているのは、と解釈すれば原曲が芸学部時代のものであっても矛盾もなさそうです。

 

現実と見紛うほどの写真技術がお手頃に手に入って久しい今日ですが、そんな今だからこそこの曲はより一層深みを増すんだよなぁみたいなこじつけ話は次のセクションに取っておきましょう。

 

ピースは🧩なのか✌️なのか

まぁこれは普通に🧩の方でしょう。

冒頭からジグソーパズルで始まる歌詞ですし、花帆、梢両方のカードボイスでもパズルのピースという文脈で言及されています。

両方で触れられていつつも2人の解釈が結構違うところも面白いのです。

ざっくり花帆は蓮ノ空、スクールアイドルとしての日々がパズルみたく組み合わさって自分が形成されていると捉えている一方で、梢は瞬間瞬間の自分は別人のように見えてどれも乙宗梢というパズルのピースの一つなんだというように考えます。

 

こういった背景知識を入れて3月に兼七園ことご実家に花帆を呼んだ梢が幼少期のアルバム、ありのままの自分を見せているというのも、2人の関係性の進展が現れていてとても美しいのです。

 

と、ここまでが🧩のお話。

 

✌️についての解釈は、サビの最後に不自然につけられた「ピース!」という歌詞が、振り付けも相まって明らかに🧩ではなく✌️を指していることで発生しています。

そこ以外は一貫して🧩の方で意味が通じるため、あまりにも後付け感が強く『素顔のピクセル』以降に足されていそうだなぁと思うわけです。

 

これは一体なんなんだと初めてこの曲を聴いたときからずっと頭を悩ませていました。

 

が、ある日ひとつの仮説に行き当たりました。

 

 

1人だけいるではないですか。

 

 

乙宗梢でも日野下花帆でも百生吟子でもなく、

スリーズブーケのメンバーで、

✌️がよく似合う上に、

そういうことをしそうな人が。

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